トーヤの創作メモ

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【創作小説】窓際ヒーローズ1-3

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窓際ヒーローズ 1-3

 冬は早朝がもっともよいとか、昔古典文学好きの伯父がほざいていた。しかし雪や霜とはいかないまでも朝は肌寒く、伯父の言葉は嘘にしか思えない。シュヒは機械いじりやコード書きさえできれば、どの季節のどの時間帯でも好きになれる。昔の人にはそういうものがなかったんだろう。
 本部の傷一つ無い白の壁にもたれかかり、シュヒはそんなことを考えていた。
 特別誂えのSSサイズジャンパーをやっと着込んだリロイは、わずかに目を伏せながら掌を差し出す。
 「せんぱいっ、お待たせしました! 手を……、繋ぎましょうっ!」
 「ああ、たしかに街道ではぐれたら危ないね」
 シュヒが手を差し出すと、リロイの顔がぱっと明るくなった。半年前、誘われるままリロイと行ったカフェで幼女誘拐犯と誤解され、留置所に入れられた経験から、後輩との外出時は注意が欠かせない。
 ちなみにレトルトにも赴任当初1度だけ飲みに誘われたことがあるがドタキャンされ、キレて通信飛ばしまくった結果は着信拒否! 二人はそれから一度も飲んだことはない。ああファッキンシット、クソ上司&クソ国家権力! こんないきさつから、自分は同僚との外出に向かない、とシュヒは思っている。

 国務警察本部はセンター区域高階層にある。二人はスカイロードを経由して、手近なジャンクフードのチェーン店に入った。朝も早いからか店内の客はまばら。リロイがクラムチャウダーとパン、シュヒがサンドイッチをそれぞれ買ってテーブルについた。24時間自動営業! の文言を見て、シュヒが短くうめく。
 「僕の身体は24時間営業非対応だよ、ううう消化器が辛い……最近ちょっと寝ただけじゃ疲労が回復しなくて……老化を感じる……」
 「ちゃんと食べてますか? センパイのことですから、一週間毎食ぶっ続けポテチとかやらないでくださいね」
 「お、それは僕の先週のメニューだね!」
 やったんですね……とリロイが半眼になった。一度ハマったものからはなかなか抜け出せないのはシュヒの性だった。
 まだ湯気を立ち上らすクラムチャウダーに口をつけ、リロイは翠の瞳にシュヒを映す。
 顎から首筋までの引き締まったライン。逆光の中でも目立つ、琥珀のように鮮やかな、瞳の黄金色。この瞳が、声が、紡がれる言葉が、ああ……まぶしい。眩しいなぁ。リロイは思わず目を細める。
 シュヒを前にしたリロイは、噴水のわずかなせせらぎや雲の合間から漏れ出る光、北風や自分の足音さえいとしく思える。理性もフィロソフィーもすべてふっ飛ばすこの幸福を、リロイが人生で体験したことのないこのしあわせを、先人たちは愛と呼んだ。
 ふと、彼女は口を開く。
 「センパイ」
 多幸のぬるま湯が注ぎ込まれたのだろう、彼女の胸はきゅうっと締め付けられた。リロイはシュヒを見つめ、そっと微笑んだ。緩く合わさった唇から、
 「……ボク、センパイがだいすきです」
 シュヒは迷うことなく破顔する。相変わらず目は合わせない。
 「僕もリロイのこと好きだよ!」
 「ふえぇ!? あ、あのっ、それは、普通の好きですか? それとももっと重要な好き?」
 思わず彼女の手には力が入る。シュヒは眉を下げて、くしゃっと笑った。
 「うーん、誰かを愛おしいって思う気持ちに、重要だとか重要じゃないとかいう格付けってあるのかなぁ」
 灼けつくような気持ちを覚えつつ、彼女はクラムチャウダーの残りを一気に飲み干した。
 白髪の彼女の輪郭を脳裏でなぞり、リロイは、
 「それにしても、会ったこともない人の個人情報だけを残して、あとの記憶は綺麗さっぱり忘れる記憶喪失なんて……本当にありえるのでしょうか?」
 「記憶喪失のみについてはとりあえずの説明がつくと思う、発見時の様子から。怪我だけじゃなく撃たれてたみたいだから、ショックを受けたとか」
 シュヒはサンドイッチにかじりついた。もぐもぐ口を動かしていると、リロイが浮かない顔で切り出す。
 「でも、自分が何者かわからなくなるって、ちょっと怖いと思いませんか? ……いえ、もしかしたらボク達、自分が何者かなんて死ぬまでわからないのかもしれませんね。自分が何者なのか? 自分が生きる意味とは一体何か? という問いに自信を持って答えられる人など、世界にどれほどいるでしょう」
 リロイはいつになく沈痛な面持ちだったが、シュヒは意図を解せず、
 「僕は自分のこと、シュヒ=ロウだと思ってるよ?」
 「……はいっ! センパイはセンパイですね! やっぱりセンパイほどの人となると、世間からも求められ、人生の目標も明らかなのでしょう?」
 「買い被りだよ」
 シュヒは生気のない顔で返した。彼は神のように祭り上げられたり、人非人のように蔑まれたりするのが苦手だった。あとは犯罪者扱いも。
 「僕は自分が生まれてきた意味なんてまったくわからないし、いちいち求めてもきっとしょうがないと思うから、目の前の人を助けることや与えられた課題をこなすことに集中してるだけだよ。実績が積み上がってはじめて肩書きがもらえるように、生き続けてはじめて、生きる意味が見出だせるんじゃないかなと思うよ。ぼくはね」
 「なる、ほど」
 リロイはしかし、頷かない。
 「確かに、哲学者は未だ”真理”を規定できていませんし、人生かくあるべきという“希望”は誰からも示されません」
 いつだったかキャンパスで習った内容の受け売りで、
 「だからこそボク達自身が『どんな状況の誰を助けるべきか』『目の前の課題をどう処理すべきか』を決断しなければなりませんが、しかし、絶対的に普遍的な価値観など、果たして個人が探究しきれるでしょうか? 未来への決断あるいは判断基準が間違っていたら、ボク達は取り返しのつかない過去と未来を前にして、打ちひしがれることしかできない」
 自由の呪い。
 「そういった側面において、個人は無力です」
 ふぬう、と気の抜けた相槌をして、シュヒはサンドイッチを嚥下する。
 「個人でダメならほかの人を頼ればいいんじゃない?」
 「むー。それでは思考停止です」
 なんとなく話が噛み合っていない気がしたが、いつものことなのでリロイはスルーした。
 「気持ちは分かるよ、僕も若い頃は色々迷ってた。でもリロイ、何も恐れることはないよ。ひとつ年を取るたびに許せるものが増えていくから」
 「ひとつ年を取るたびにひとつ妥協を覚えていくなら、ボクは子どものままでいいです」
 「ううん、僕にも絶対に妥協できないものはあるよ」
 リロイはまだむず痒そうな顔をしていた。しかしシュヒが何か言う前に、眼前にパネルが展開された。
 映るレトルトは腕組みをして、
 『ブレインスキャンの結果が出た』
 同時に、シュヒの手元にパネルが展開された。並べられた数字を目で追って、彼女の言っていた「記憶喪失」が残念ながら本物であることを悟った。
 「いよいよまずいね」
 『口に出すまでもない。さっき国務警察長官に急ぎお伺いを立てて処遇が決定した。ここで言うのもなんだし、さっさと食事を終えて、医務室まで帰ってきてくれ。以上!』
 シュヒは上司の姿をぼんやり眺めていた。レトルトはとにかく仕事が早い。どちらかといえば天才型で専門分野特化のシュヒに対し、叩き上げのオールマイティな処理能力は新鮮で、毎度素直に感服する。
 レトルトのパネルが消えてから、リロイはシュヒの元に身を乗り出した。ちまっとした身体がテーブル越しに寄せられる。
 「聞いてませんでしたっ! センパイの譲れないことって、いったいなんなんです?」
 「機構都市に歯向かうこと」
 リロイは呆然と口を開いて、シュヒをまじまじと見つめた。
 「嘘ですよね?」
 「……そうだよね!」

 リロイとシュヒは、命じられたとおりに一時間ほど前に来たばかりの病室を再訪した。
 ツイヴェルンは身を起こし、ベッドテーブルに置かれた入院食を食んでいた。プラスチックのプレートの上には、マッシュポテトだけがわずかに残されている。どうやらぴんぴんしているらしい。シュヒはほっと胸をなでおろす。
 「ツイヴェルン、ここの食事は口に合うかい?」
 「りょうが少ない」
 シュヒの問いかけに無表情で応えるツイヴェルン。レトルトは頷き、口を開いた。
 「やっとうちの部下が来た。待たせてすまない、これから君の処置を報告する」
 ツイヴェルンは無言で首肯する。機構都市の大まかな方針などは説明済みなのだろう。
 「まず、ツイヴェルンを機構都市の準市民として認定する。今からここを出ることになるが、体調は平気か?」
 「問題ない。わたしは身体を鍛えている!」
 「銃創作ってた怪我人の言うセリフじゃない!! てか退院はっや! いいの!?」
 「わたしは身体を鍛えているから!」
 ツイヴェルンは誇らしそうに続ける。いくら機構都市の医療技術が世界最高峰といえど、鍛え抜かれただろう強靭な肉体が回復を助けたのは間違いなかった。
 「なるほどよかった。検査はもう一通り受けたろうし、問題はないな。それで、ここから出てからの処置だが――」
 リロイはシュヒの袖を掴んで、緊張の面持ちでレトルトを見上げる。

 「これから一週間の間、シュヒとツイヴェルンには同居してもらう」

 リロイが泡を吹いて卒倒した。

 「うそ嘘ウソっ、うそですよねっレトルトさん! うわ~んやっぱり神様なんていないんです、神は死んだんです!」
 そういう文脈じゃないだろ! シュヒは突っ込みを入れたかったが、小さな後輩は癇癪を起こしたように涙を溢れさせ、レトルトをぽかぽかと殴っている。ツイヴェルンは何を言うこともなく、じっとりふたりの様子を睨めていた。
 「リロイー、君の気持ちはわかるが、大人の世界には気持ちじゃどうにもできないことがたくさんあるんだよ!」
 「ボクはぜ~ったいそんなケース認めないですっ! センパイとおねーさんの同居なんてぜ~ったいイヤですっ!」
 「仕方ない、じゃあリロイが俺と同居することで手打ちにするか!」
 「それなんの解決にもなってませんよ!? シュヒさんじゃなきゃイヤです!」
 「じゃあこのスーパー博識イケメン上司がとっておきの策を教えてやろう! 世の中には通い妻という言葉があってだな」
 「アンタ今絶対リロイに変なこと吹き込んでるでしょ」
 そして追い込まれたシュヒを見てゲラゲラ笑う、この上司はそういう男だ。

 国務警察長官マイアとレトルトの話し合いはごくごく簡単なものだった。
 ツイヴェルンの正体が分からない以上、記憶を戻すまでは監視が必要。だが市民を乱暴に扱ったとなれば連邦を刺激しかねない。
 そのため準市民としての身分を与えて補佐課で保護、送還時に機構都市内での記憶を消去することで一致した。
 準市民身分では高階層にある家に立ち入れないためレトルトは不適。リロイは幼すぎる上留学生。選ばれたのはシュヒ=ロウでした。唯一記憶を宿すシュヒと接触することで記憶を戻すための刺激になれば、という思惑もあるのだろう。

 リロイはぷくっと頬を膨らませて、
 「この指示は部下のプライベートにまで踏み込んでいる上、センパイとおねーさんの意思をまるっきり無視していますっ! おねーさんも、いきなり男の人と同居なんてイヤですよね?」
 「わたしはかまわない」
 リロイが身体を硬直させる。
 「保持している記憶がシュヒ=ロウのものしかないいま、いちばん安心できる相手というの彼だ。わたしはシュヒ――シュヒ、さんとでよい」
 「むきゃー! おねーさんまで!」
 頭を抱えたリロイに向けて、ツイヴェルンが手招きする。素直にとことこ歩み寄ったリロイを、ツイヴェルンがそっと抱きしめた。
 「問題ない。あなたも一緒に住めばいい。あなた泣くの、わたし、かなしい」
 豊満な乳房が押し付けられ、リロイは真っ赤になって口をはぐはぐさせる。
 一方のシュヒは微妙な顔のままだった。リロイやレトルトと同居するとしても自信ないのに、ましてや会ったこともない子となんて……。ツイヴェルンに感づかれないようにパネルを叩き、レトルトにプライベートトークを送る。
 『無理ですレトルトさん! 僕の部屋貸すんで代わってくださいいいい!』
 『大丈夫だ、気張るなシュヒ。何かあったら俺に連絡すればいい、このスーパー有能イケメン上司がついてるぞ!』
 『アンタほんとすぐ調子に乗るね!? その自信どこから湧いてくんの!?』
 『はははお前にも分けてやりたいよ。シュヒ、同居中は穏便に探りを入れて、連邦の様子を引き出してくれ。あとはまあ、ツイヴェルンの話し方破綻し過ぎでわかりにくいから、適当に言葉を教えてやって?』
 『高度なコミュニケーション要求しないでください……無理ですよ、僕になんて』
 『できるできるもっとできるやればできるって!! さあ同志シュヒ君、苦境を乗り越えドMに目覚めるのだ!』
 『それは嫌だ!!』
 叫びを無視してパネルを消し、レトルトは未だぐずぐず泣くリロイと連れ立って病室を出ていった。どうやらもう退院(?)の支度を始めるらしい。
 シュヒは悶々とした気持ちを抱えながら、眼前の美少女を眺める。銃創を負っていた腹はきれいに完治しており、白い臍は傷一つない――って、白いへそ?
 「う、わああああああああああああ!!」
 ツイヴェルンは立ち上がって、入院服を脱いで上半身を晒していた。形のいい乳房、丸みのある肩が一糸まとわぬリアルでそこにある。お、おっぱい……!?
 「ツイヴェルンさん!? なんで脱ぐ!?」
 「だって、退院するならいつまでも病院着よくない。それともシュヒは嫌で見たないか?」
 「原始人かよ! いいい嫌ってわけじゃないけどあのですね節度ってものが!!」
 シュヒは顔を手で隠しつつ、一刻も早く退出しようと病室のドアを開いたが、うっかりリロイと鉢合わせしてしまった。この後輩は、なかなか出てこないシュヒを呼びに来たのだろう。シュヒは、穴があったら入った上で墓標を立ててほしい気分だった。
 ほのかに顔を赤くするシュヒと、裸体を晒しなぜか仁王立ちするツイヴェルン。リロイは清々しいまでの笑顔で二人を見比べ、唇を開いた。
 「神は死にました」
 リロイが泡を吹いて卒倒した。
 

 ツイヴェルンは、発見時に着ていた青のベアトップ、ミリタリーパンツをまとってどこか安心したようだった。「えっちなのはいけないと思います!」というリロイの抗議から、ベアトップの上から国務警察の白ジャンパーを羽織ることになったが。

 シュヒはまず、彼女に機構都市の案内をすることにした。
 まずはデリやモール。昼食を済ませてからは彼女の年頃が訪れそうな女性服の店を調べて紹介したが、なんともノリが悪く、次にホームセンターへ行ったところ、ツイヴェルンは目の色を変えた。
 これは何? としきりに質問するさまから、連邦にはない機械だろうかと目星をつける。機械いじりや工作はシュヒの得意分野なので、2人で頭を突き合わせて薀蓄を垂れ流すうち、気づいたら5時間が過ぎていた。シュヒは店員になまぬるい目で見られたが、実際あたまがおかしいのでしょうがない。

 最後にシュヒは、『屋上庭園』に彼女を連れて行くことにした。屋上庭園は街で最も大きなビルにあるアミューズメントパークで、遊園地と植物園を併設している。シュヒはここの展望台が大のお気に入りだった。
 平日だからか、屋上庭園近くの人通りは少なめだ。清潔感のあるエントランスホールを抜け、エレベーターでふたりは無言だった。
 「知らない人が120cm以内に侵入するとパーソナルスペースが侵害され、つい階数表示を見てしまう」、いつかのレトルトさんの言。シュヒがそんなことを思い返していたら、ツイヴェルンが声を掛けてきた。
 「私の配属は補佐課にある。ということは、やはり仕事は他の課仕事の余り、雑用?」
 ツイヴェルンはシュヒを見つめ、こてっと首をかしげる
 「ああ……『補佐課』の意味は、『他課の仕事の補佐』じゃなくて、『シュヒ=ロウの補佐をする課』って意味なんだよ」
 「シュヒさん、おむつが必要か?」
 「いやそういう意味じゃなくてね!? 基本は僕のタスク管理とか書類整理とか色々!」
 シュヒは冷や汗をかいた。そして、このままではシュヒが特別扱いされている意味がわからないだろうと付け加える。
 「僕は12歳でこの国に渡ったんだ。両親は技師で、その頃ちょうど機構都市で用いるサイバーインフラの設計に関わっててさ。技術に強いお前ならこういう職に向いてるだろう、ってお父さんに褒められて嬉しくなって、試しに一人で組んだら、うまくいっちゃったんだ。それからはいろいろと……生き物とか新システムとか」
 幼いながらにシュヒはいくつもの発明を重ね、科学分野ではいっぱしの地位を築き、神童だの天才再来だのと拍手喝采を受けた。彼の少年時代の栄光がいかに世界を前進させたかは、リロイはじめ未だ残る彼の信者が体現している。
 「この空間投影技術もそうだ、現行の機構都市の技術はほとんど僕が作ったといってもいい。その功績が認められたんだ」
 誇らしい話のはずが、シュヒは気まずそうな顔で、ところどころ濁した言い方だ。ツイヴェルンは単刀直入に、彼の横顔を見つめ切り出す。
 「なぜ国務警察の中にそな部署を作って、シュヒさんを雇っている? そな功績をあるならば、一般に考えて、シュヒさんの適任は研究者だと思う」
 シュヒの背中は微動だにしない。しばらく沈黙が続き、逡巡しつつ、やがて彼は重い口を開いた。

 「16歳の時、都市法を犯した」

 低く平坦な声音だった。ツイヴェルンははっとして息を呑む。
 「都市で、いや世間一般で禁忌とされている罪を犯した。けれど、僕は機構都市を作り上げた功労者の上、連邦対立下の技術開発競争では僕の力が必要になると思われて、政府も行政も僕を切れなかった。でも野放しにするわけにもいかないから、補佐課で監視されつつ働くことになった。僕はほんとは囚人なんだよ」
 罪を犯した奇才に与えられた罰は、『一生の飼い殺し』だった。例えるなら、補佐課のオフィスは刑務所で、仕事は刑務作業、レトルトは刑務官にあたる。
 完全な幸福を構成する三要素は、「財産」「人間関係」そして「自己実現」だという者がある。シュヒは人生の決定権を奪われたかわりに、今後一生上がらない薄給、昇進などないポスト、監視の上で暇を弄ぶ職務を与えられた。
 「シュヒ……さん」
 「僕は自分がなんのために生まれてきたかなんてわからないけど、まだここで誰かの力になりたいんだ。タスク管理も他人に頼るくらい一人じゃ何もできないし、皆を助けるつもりで作った機構都市は格差の激しいディストピアになっちゃったし、神様みたいに持て囃された後に罪人として謗られるし、もういっそ死んでしまいたいとも思う。でも僕はそれでも、世界を嫌いになれないんだ。この機構都市が内包する虚無主義に抗う――それだけは譲れないんだ」
 そこでツイヴェルンはやっと思い当たった。彼がずっと執着していた『人助け』は、与えられた監獄での唯一のやり甲斐だったのかもしれない。そうでなければ、瀕死で倒れている敵国の女など誰が救うものか。
 「シュヒさん、死ぬなど言うのよくない。命は尊い。ミミズ、オケラ、アメンボ、ダンゴムシ、そしてシュヒさんも懸命に命の炎を燃やしている」
 「今虫と同列に扱わなかった!?」
 ツイヴェルンは無視して続ける。
 「例えあなたが咎人だとしても、あなたはわたしの恩人だ。わたしはあなたをよく知らない、神とあつかうもないし、罪人として悪口もない」
 ツイヴェルンはシュヒの頬に手を添えた。

 「あなたはただの、シュヒ=ロウ。私の特別な人だ」

 隣に佇むツイヴェルンは、北風に髪を揺らし、足元に広がる街を眺めていた。
 「さっきシュヒ、機構都市をディストピアと言った。けど、やさしいあなたのつくった街が、優しくないわけがない。ほら、――」

 ツイヴェルンは目線を上げ、顔をほころばせた。

 「きれいだ」

 日は西に傾きかけていた。
 空は黄色、オレンジ、紫と艶やかなグラデーションを描いて二人を包み込んでいる。眼下に広がる広大な街に、ぽつぽつと営みの明かりが灯りはじめ、空を貫くようなひときわ高いビルさえも、慈愛のオレンジに塗り替えられていく。
 遠く喧騒。笑い声。バスのタイヤが路面とふれあう音。
 焼けるような夕焼けに照らされ、機構都市――シュヒの造った理想郷は、そこに住む人間を生かしながら、穏やかに夜を迎えようとしていた。

 「教えてほしい。この街のこと、あなたのこと。そうしたらきっと、わたしはわたしにたどり着けるようなきがする」
 「……そうだね、ツイヴェルン。なんだかありがとう」
 シュヒは、隣に立つツイヴェルンに微笑みかけた。そして彼女に向き直り、照れ笑いしながら右手を差し出す。

 「君が、『自分はツイヴェルンだ』と自信を持って言えるように、一緒に記憶を探そう」

 ツイヴェルンはその言葉に、凛とした笑みを作った。シュヒに向けて手を伸ばし、つなぐ。人の手のぬくもりを感じた瞬間、ひときわ激しい風が一閃吹き抜けていった。
 「……よろしくおねがいする!」

 「むうううううううううううううううう! 今この瞬間センパイとおねーさんが一緒にいると思うと、ボクのメンタルはもうぼろぼろですううううううううう!!」
 「まあ落ち着いてミルクでも飲めよ、な? カルシウム大事大事」
 ツイヴェルン同居が宣告されてからのリロイは落ち込みっぱなしで、さっきから作業机にガンガン頭を打ち付けている。レトルトは笑顔を顔に塗りたくって、デスクワークの片手間に慰めることしかできなかった。
 それよりもレトルトは、あの奇人部下がツイヴェルンとまともに接することができるかに気をもんでいた。シュヒ自身はピュアで人間嫌いではないが、扱いづらい性分を持っており、見知らぬ敵国市民とのコミュニケーションなど達成できるかどうか。
 とはいえ、部下の前で懊悩する上司など笑止!
 パネルを閉じ、あわれな部下の背中を軽く叩く。デスク脇にしゃがみこんで、涙に濡れる緑の瞳を覗き込んだ。
 「リロイ、二人の同居生活に終止符を打ちたいなら答えはひとつ! 彼女の記憶を復活させて連邦にお帰りいただくこと! 君はその手伝いをすればいいんだよ」
 「はっ、そのとおりですねレトルトさん。カヨイヅマにボクはなりますっ」
 柄にもなく、ちまっとガッツポーズを決めるリロイ。
 「一刻も早くあのおねーさんの記憶を取り戻してハッピーエンドでさようなら! ボクとシュヒさんがフォーリンラブですっ!」
 「おお、その意気だリロイ、俺は折れない部下が大好きだ! 休み明けの任務も頑張ろうな!」
 レトルトは純真に笑うリロイを見つめる。
 ――犯した罪を知ったとしても、この子はシュヒを好きなままでいられるだろうか?
 意地悪な考えが脳裏をかすめるが、さすがに口には出さなかった。


 帰り道、ふたりは夕食を買うべくマーケット街に入った。
 平日の午後だが、学校帰りらしい子どもが多く屋台に群がっている。林檎をたっぷり並べた屋台の青年は、シュヒの容貌を見留めるなり快活に声を上げた。
 「ニーハオ! コンニチワ! アニョハセヨ! お兄さん、試食していかない?」
 彼は、頭の中から適当に東アジアの挨拶を引き出しているようだった。シュヒは足を止めて曖昧な笑みを返し、勧められるままに切った林檎を口に含んだ。口内で溶ける赤。
 「甘いや。この林檎、いくらするの? 買っていこうかな」
 流暢な発音に、青年は一瞬だけ目を剥いたが、すぐに表情を戻した。
 青年のセールスを断りきれなかったのだろう。屋台から帰ってきたシュヒは、苦笑して袋いっぱいの林檎を抱えていた。ツイヴェルンの唇から、軽やかな声が漏れる。
 「シュヒさん、買うすぎてる!」
 「そうだね。こんなに沢山、一人じゃ食べきれないや」
 「りんごジャムにしたら?」
 シュヒは苦笑して肩をすくめ、料理は不得手だと断りを入れた。そして袋の中の林檎を一つ取り出して、ツイヴェルンに手渡した。
 「君の分もたんとあるよ」
 ツイヴェルンは虚を突かれた思いでほんの少しだけ彼を見つめ、そして林檎に目線を落とす。「君はここに居てもいいんだよ」。不器用なりに、そんなメッセージを受信した。
 どうやら私は歓迎されているらしい。蝋を塗ったような果実の手触りを感じながら、彼女は密やかな笑みを漏らした。林檎などよりずっとあまい喜びが、何ひとつのよすがもない胸中にじんわりと満ちた。
 「シュヒさん、笑顔、すてきだ」
 「え?」
 「わたしの記憶のなかにあるのは、険しい顔だけだった。笑う、うれしい」
 そういうツイヴェルンの頬も、また同じように緩んでいる。
 だがしかし、ツイヴェルンには唯一ひっかかるものがあった。
 「そういえば聞いていなかった。あなたの罪、とは?」
 「あはは」
 シュヒは乾いた笑いを漏らして黙り込む。

 「聞かないほうがいいと思うよ」

 夕焼けで逆光になったシュヒの笑顔は、生来の人相も相まって、善人には見えない。

ありがとうございました!

 

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